戦争の思い出-母の話その6

昭和20年8月15日に戦争は終わりました。 世の中が少し落ち着いて昭和23年ごろの春に、千葉に住む家が 出来たので、引っ越してきました。「千葉には甘いお芋があって、 たくさん食べられるよ」と言われて、それを楽しみに千葉に […]

戦争の思い出-母の話その5

谷を渡ったところに十件ばかりの小さな栗原という村があり、 そこで山羊のお乳を分けてもらい、弟はそのお乳で育ちました。 皆いつもおなかが空いていました。あるとき、いつもより綺麗で おいしそうなお弁当を作ってもらい、とても嬉 […]

戦争の思い出-母の話その4

山荘は北軽井沢の大学村というところにあり、小学校は軽井沢小学校の 分校しかなくて、先生は3名だけでした。一週間に一回、本校から校長 先生がいらっしゃいました。1人の先生が2学年ずつ受け持って、 教えて下さいました。学校は […]

戦争の思い出-母の話その3

焼け跡には五右衛門風呂の鉄の湯舟と水道管が残っているだけで、 私がままごと遊びをして庭の隅に置いてあったガラスの器などは、 ドロドロに解けて、他の金物にカチンカチンにくっついていました。 北海道の家から持ってきた、私が小 […]

戦争の思い出-母の話その2

いよいよ空襲が激しくなった頃には、2階の屋根すれすれにB29が 飛びました。早く疎開をすれば良かったのですが、お祖父様が病気 だったり、私の母はお産で入院したり、父は川崎にある工場の診療所 の歯科医だったので毎朝早朝4時 […]

戦争の思い出-母の話その1

東京の目白にあった私の家が空襲で丸焼けになったのは、昭和20年 4月13日でした。下落合第一国民学校の二年生になったばかりのとき でした。 登校する時は、現在の通学班の様に、近所の子供たちと2列に並んで行 きました。ラン […]

戦争の思い出-母の話序

終戦記念日までにスタートしたいと思っていましたが、 なかなか仕事が忙しく、始められずにいました。 漸くまとまってきましたので、少しずつ始めます。 私の母は北海道の生まれですが、東京大空襲の前の年に、祖父の実家 である目白 […]

戦争の思い出-聴き取り開始

昨夜から、両親に戦争体験の聞き取りを始めました。 父は昭和9年生まれ、母は昭和13年生まれで、 それぞれ疎開した都会っ子がいじめられた経験や、 東京大空襲のさなかを逃げ惑った経験があるのです。 次第に戦争が出来る国になり […]

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